取材。の感想です。
※「しゅざい!」と書けばK-ON!ぽい
※カテゴリ名「病院へ行こう!」は、経営シミュレーション・ゲーム「学校を作ろう!」のオマージュである。
【あらすじ】
ブログ『高齢ひきこもり』N氏がマスコミの取材を受けた際、打ち合わせ的な電話の段階で、何度も記者から「パチンコはしますか?」と言われたので、「マスコミの連中は、仕事もせずにパチンコに興じているような、ダメ人間の引きこもりを取材したがっているわけだ。このように世間とは、常に攻撃できる対象を求めており、引きこもりは常にその絶好の餌食なのだ」と立腹し、結論づけた。
【感想】
高齢ひきこもりN氏が本心でそう思っているのかは怪しい、いささかネタ臭・釣り臭のする投稿にも感じられる。これにあっさり同調してしまう『高齢ひきこもり』ブログの常連とおぼしきファースト・コメンターの反応もいささか不自然さが感じられる。
私のように
「いや、それは違うだろう、被害妄想に陥ってはいまいか?」と突っ込みに来る者を、お仲間と共に待ち構えていて、獲物が網にかかれば集団でフルボッコにしようとする算段に見えなくも無い(ならば、なおさら直接コメント欄に「高齢ひきこもりN氏に激しく同意する以外の」感想を書くのは避けるべきだろう)。
そもそも外出が苦手で気弱な引きこもりが、非常にうるさい環境の上に、ガラの悪い客の割合が決して低いとは言えないパチンコ店に通うという筋書きは取材対象としてリアリティが無さ過ぎる…対人恐怖症の無いニート等ならまだしも…
しかし、オタマジャクシがカエルになるように、引きこもりが年を取れば自動的にニートに成る訳でもあるまい。
「パチンコはしますか?」を連呼されたのは、
単に記者自身がパチンコが大好きなだけ、な気がする。
パチンコが好き過ぎて
「この世にパチコンが嫌いな男など居るはずがない!」
「
だって上司から『困ったときは自分の得意分野で勝負しろ』とアドバイスされたもの!俺はパチコンの話題なら絶対にスベらない!だから未知なる生命体――引きこもりとも盛り上がれ、打ち解けられるはずさ!」
・・・等と思い込んでいる無邪気な若い男性記者の姿が目に浮かぶ。実際、日本には壱万店以上のパチコン店が溢れ、「レジャー白書」によればパチンコ参加人口は1000万人だが平成初期は3000万人で現在の野球やサッカーのファン数と同規模で、パチンコは、オタクとかニッチとか揶揄されるマイナー趣味では決してない。
なお、同じく「アミューズメント施設」で括られパチンコ店よりは健全なイメージのある「ゲームセンター」はパチンコ店の半分の5千店程度で、30年で1/5程度にまで減少しておりパチンコ店よりも退潮が激しい(そういや近場のゲーセンは「全滅」し、パチンコ店に居抜き物件された店も…)。
高齢ひきこもりN氏の言うように、
本当に「引きこもりを貶める悪ネタ探しの取材」なら、「パチンコの一点攻めではなく、もっと沢山の種類の、世間の人々が呆れる金の使い道の数々」をあらかじめリストアップしておき、それらの話題を総当たりで振って、攻めてくるであろう。パチンコの一手しか攻撃手段が無いのは「歩」以外の駒を封じて将棋をさすようなもので、プロの記者の仕事としては非効率すぎる。
私も、高齢ひきこもりN氏と同様、パチンコはした事が無い。第一、そんな金など無い。
「パチンコ行くから千円貸して」「は?んなカネで遊べるわけないだろ!」
という某漫画の台詞が印象に残っている。50円あれば(一部の)ゲーセンの(特殊な)ゲームで30分遊べる。
パチンコ屋で「時間を潰せる」くらいに入り浸るには、万円単位の軍資金を「それがゼロになるリスクを背負い続けながら」回転させる必要があるらしい。
パチンコは、人並みに働いて得たカネを自由に使える人(それを一瞬で失っても、来月の給料日にはまた金が入るから別にいいや!と思える人)だからこそ出来る、無職ひきこもりからみたら、しごく豪勢な遊戯だと思います。
私なら、まずその点を記者に突っ込んでみる。
私「パチンコを何も知らないので①から教えて下さい!」
記者「いちからか? いちから教えないと駄目か?」
私「はい、もちろん!師匠!なんなら私に初打ちの感動を
師匠のおごりで!」と。
・・・そんなアゲアゲな対応は無理としても(しかも年下の社会人にたかるとか、ねぇわ・・・)、
「え~、無理っすよー、お金掛かるじゃないですか、
プーなんだからお金無いっすよー」と言えば相手は諦めるか、「いやいや、今は1円パチンコがあってね」「へー。1円で何発打てるんですか?」
「何発て・・・舐めとんのかコラッ!」 等と 話が弾むかもしれない。
※高齢ひきこもりN氏は週○時間、辛うじて非正規労働者として働けてはいるものの、非正規労働は社会的に職歴として履歴書に書けない「無職扱い」されるばかりか、週労働時間から推算すると高齢ひきこもりN氏の稼ぎは「扶養控除の上限額を気にしながら働くパートのおばちゃん以下」と思われるので
「プー設定」で押し切っても問題無いであろう。
何も知らない者は、ただ教わるだけ=聞き役に徹すれば、むしろ話題は途切れない。
世間について何も知らない引きこもりは、知らないこと=相手に聞く事が無限にあり、相手に嬉々として説明できる機会を与えられるならば、役立たずと罵られる引きこもりとて人々に幸せを与えられるかもしれない。
逆に「何も知らない引きこもり」を馬鹿にしてくる輩がいたら、さっさと関係を断ち切ればよい。「何も知らない馬鹿な私と居てもつまらいよね、じゃあ、さよなら」と。それでも「いやいや、友達居なくて可愛そうだから一緒にいてやるよ」と粘着してくるようなら、「単に私を苛めて楽しみたいだけでしょ。もう関わらないでくれ。大人がやる苛めは少年法の庇護を受けず、十分な犯罪として成立する事を、出るところに出て分からせてあげましょうか?」と。
もっとも、
「無職で金が無いからパチンコで遊べない」という事実を、「自分は例え無職でもパチンコに興じるような低脳な連中とは違う!奴らが働いていたとしても俺のほうが上だ!」などと虚勢を張るから、無駄な憎しみを世界に撒き散らしてしまう訳で…「どちらが上か下か」かという論理に拘るから心が荒れるわけで…相手に敵意が無くても引きこもりの側が好戦的な場合もあるわけで(度が過ぎると精神科領域の症状を呈するであろうし、そうやって家庭内で暴れると
悪辣な引きこもり拉致業者に介入の口実を与えかねない)。
相手が愛している対象=パチンコを決して馬鹿にしてはならない。
たとえ引きこもりが世間から馬鹿にされ続けてきたからといって、相手の若さにつけ込み、このギャンブル野郎をコケに、いっちょ復讐してやろう、なんて悲しい発想はしたくない。
「パチンコなんて、ハイリスクの連続くじ引き機と一緒で、重度の中毒性が有る廃人製造マシンだよ」なんて見も蓋も無い事を言ってはいけない。
「やあ、みんな!駄目人間の話をするよ!」の決め台詞で登場するお笑い芸人「
キャプテン渡辺」の如く、ギャンブル王に俺はなる!ぐらいの啖呵を切り、自らをダメ人間と言わしめ、笑いで人々を癒せる彼の力を見習いたい。
それが、
世間から馬鹿にされ続けてきて人の痛みを知る者が持つ、他人を癒せるヒーラー的な
ユニーク・スキルではないのか。
RPGでは、ヒーラーは冒険仲間に欠かせないと言うではないか、プレーした事ないけど。私は最弱のモンスターすら倒せないので。知人から貰った初パソコンに入ってた謎のRPGゲーム、最初のゾンビで毎回殺されましたからね。
【結び】
上記のエピソードで、私自身がビョーキのくせに、ビョーキ者に身を落したくない「健常者で居たいN氏」(「
障害者を見下していました。」を参照。語尾を過去形にしているが実際は・・・?)のビョーテキ被害妄想の線を疑った私ですら、精神科で病名の洗礼を受け医療費9割引きOK待遇なのだから(2年に1度?区役所窓口にて
「貴方は○歳なのに年間所得が(ああ、もう駄目!聴くな!見るな!心が折れる!)」という強制尋問を受ける特典がもれなく付いてきますが)、高齢ひきこもりN氏に、精神医療のケアが全く及んでいないとしたら心配である。
ましてや、私がモーソーするような「わざとブログに罠を仕掛け、うっかり嵌った者を集団リンチ」などという恐ろしいグロゲーを万一開発していようものならば、精神医療のケアが是非とも必要である。もしそうならば、自傷傾向のみならず他害傾向アリであるから、何と言いますか色々と沿線やらセクスィー女医さんのコ・ノ・ミを選べるうちに、ダークネス・フォースが覚醒して一線を超えて国家権力によって鉄格子病棟にナニされる前に是非
メンタルへ!…
私よりもブログ『高齢ひきこもり』を読み込んでいらっしゃる、
ゲーマー・ぶーにゃんさんのブログを拝見すると、高齢ひきこもりN氏は
発達障害の疑いが有りながら精神医療のケアを拒んでいると読み取れる。
そういえば、『高齢ひきこもり』を書かせている不登校情報センターの理事長氏も、発達障害を自覚し、それを叙情的な文章に綴るいっぽうで、「私は医療機関の受診をする必要があるとは思いません」とセルフ診断のうえ断言されていた。
つまり不登校情報センターという場所で、発達障害の疑いが有りながら医療機関の受診を拒む者同士がネットを通して結びついた構図が浮かび上がる。「類は友を呼ぶ」とは、こういう事なのだろうか。
【追伸】
「親からの仕送り七万円を物理学の勉強に遣っている(中年の)ひきこもり」が居たとしても、それが純粋な生きがいとして本人をイキイキと魅力的に輝かせる形で成立しているかのように、TVが好意的視点で放映したとしても、「職歴無しでそのトシから物理学者を目指しても無理(笑)」等と解釈してネットに書き込む視聴者もいるかもしれない。
実際、ブログ『高齢ひきこもり』をN氏に書かせている不登校情報センターにおいて、
30代で就労経験ゼロの状態から、大学院の臨床心理士コースに進学し「不登校情報センターの素晴らしい実績」として祭り上げられたものの「
国家試験の合否の報告等が一切無い」という「社会人なら察してスルーしてあげるのが人としての情け」であると同時に「もしも不登校情報センター側が『大学院進学』の実績作りに固執するあまり、ご本人の無謀な挑戦をわざと制止せず、
30代・就労経験ゼロの者が社会人枠で国家試験に挑み玉砕する確率を無視した結果として招かれた、
引きこもり支援団体にとって最悪の結末を隠蔽しているなら糾弾すべき」というケースも存在する。
※社会には
自殺肯定論者も存在するが、「引きこもり支援の結果として自殺を招いた場合」は尊厳死・死ぬ権利の行使として自殺を肯定する者は極めて稀であろう(実質的「加害者」側の自己弁護・現実逃避・合理化などを除いて)。
※そればかりか、大学院の臨床心理士コースに進学した30代・就労経験ゼロ氏が開設し、不登校情報センターも諸手を挙げて宣伝した「不登校情報センター・つくば研究学園都市 支部」のウェブサイトが
何の挨拶も無く削除され「無かったことにされている」点が、余計に恐怖感をそそられるられる。※引きこもりブート・キャンプの夜、テントの中で
「皆で怪談話をしよう」という流れになったときのネタとしてお勧めである。